彦いちのこれまで

 
 
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平成元年に林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門し、平成2年初席、池袋演芸場にて初高座「寿限無」。平成5年二つ目昇進。「林家 彦いち」に改名。平成14年春真打昇進。

これまでの彦いちの歩み、記憶に残っているものをざっと並べてみました。


〜平成12年

<落語会>
・仲間と共に定期的に公開稽古のように落語をやりまくる「落語道場」を開催。
・独演会「肉体派宣言」を文芸座ルピリエで開始。
・新作落語会の「応用落語」、「第二次実験落語」、「落語バカ」、「OFF応用落語」、「落語ジャンクション」、「三派連合新作落語サミット」に定期的に積極的に参加。
・春風亭小朝師プロデュース定期的落語会
 「玉の輔・彦いち二人会『幸せな二人』
 「四人の愚か者」
 「四人の優れ者」
・落語のコンクールにも何度か出場、本戦まで行くものの敗退する。
・役者でコメディアンの清水宏さんと出会い、連日、下北沢界隈でネタを創りあって互いに発表し合う。
・独演会でひとりコントを試みる。第一人者モロ師岡さんにいろいろ手取り足取り教えてもらう。弱い人間の微妙な動きを教わり、人の身の動きは攻撃的格闘技だけでないことを知る。
・独演会は、落語プロデユーサー落語王・渡辺さんに「私でよければ手伝うのでやりましょう」と声をかけていただき現在も「一人会」などはお願いしている。得体の知れない噺と噺家に手を差し伸べていただいたことは感謝のみ。
・独演会名を「喋り倒し」に変え下北沢「劇」小劇場で開催。
・2000年に落語で初の賞をいただく。賞は小学校の防火ポスター以来。


<ペット>
・ペットショップで偶然傷ついたトカゲを発見。尻尾が切れているので売り物にならないと言われたフトアゴヒゲトカゲを安く譲っていただき飼育することに。ハラフトシと命名。その頃、中野の熱血獣医の野村先生を知りトカゲと共に何度か通う。
・ダッククス小峰さんとカメ友になる。
・師匠の息子が噺家になる際「噺家になるとカメの面倒みている時間ないから、もらって~」と言われそのままウチにカメが2頭やってくる。なぜかその時「オレも噺家だっすが・・」と言えなかったのは、ちょっとカメを飼ってみたかったからというのと彼が普段からボケていたからそっとしておいた。その後、陸カメ用の小屋を制作。床材やエサに注意を払う。トカゲは手元で11年飼育し他界した。カメは13年経過するもすこぶる元気。


<雑誌など>
・書いたものが初めて活字で掲載されたときは、自分の字じゃないからヘンな感じだった。その後、キーボードで打つようになってからは、手書きの自分の字ってヘン?と思うように。
・誰に習うわけでもなく好きではじめた写真もプロの方に現場でそれとなくいろいろ聞いたりと困ったヤツ。そのおかげでいろいろ知る。
・ひょんなことから落語協会誌「ぞろぞろ」の表紙写真や誌面の写真を比較的自由に撮らせていただく。
・またひょんなことから漫画のお手伝いをやらせていただくことに。星野めみ著の「え~カミさんを一席」(講談社)。やっていくうちにストーリーも作ったりするようになる。少女漫画なので僕は力になれないのでは・・・思っていたので、単行本になったときは続いたことが嬉しかったっす。その後、8巻まで刊行。まだ続いている。
・雑誌や新聞にたまにちょこっとづつ掲載されるようになる。


<旅・アウトドア>
・ミクロネシア共和国ポナペ島、トラック島(旧日本軍が大勢いた島。水曜島という島もあり、そこの酋長に会いに)
・ヤップ島(冠婚葬祭では、未だ石のお金が使われる)
・マーシャル諸島共和国(幅200メートルで長さが60キロの細長い~島)
・フィジー共和国(なんだか陽気な島でのん気になる、カープアイランドにも行く)
・パラオ共和国(ジェリーフィッシュレイクに潜る、マッシュルームアイランドと呼ばれる島々をカヤックで巡る。ガイドに「ここは夜、人魚が来るんだよ」と言われる)
・裏磐梯・桧原湖、小野川湖(カヌーで湖にうかぶ無人島へ渡りインスタントラーメン「出前一丁」を食べる)
・那珂川「なかよしキャンプグラウンド」(カヌーに出会い、教わった場所。何度となく通う)
・沖縄・宮古島、奄美加計路麻島
・那須三斗小屋温泉
・秩父長瀞、横瀬川
・伊豆各所


 カヌーを覚え、キャンプが楽しくてしょうがなくてお金もしょうがなくない日々。
 思い立って地図を見て折りたたみカヌーを担ぎ川越あたりへ。荒川を下る。川面からの風景は護岸整備されたところに居住する大勢のホームレスだった。「にいちゃん何か飲んでくか?」と誘われた。
 そういえばこんなことも。近場の横浜でキャンプへしに金沢八景へ。マンタクラブ今野さんといい場所を見つけテント設営。朝起きたら、そこで少年たちがサッカーをしていた。サッカー場だったのだ。少年たちは我々のテントを避け白熱したゲーム展開。テントからなかなか出られなかった。
・現在入湯禁止になっている、修善寺の源泉熱湯「とっこの湯」にて、「水でうめるんじゃね~」という、生ける伝説「強情灸のまくらに出てくるおじさん」に会ったのもこの頃。
・「マンタクラブ」はポナペ島にて結成された。


平成13年

<落語会>
・「目黒さんま祭り」初参加。町中さんまを焼く、たまらない匂い。
 そんな中で落語を聴くという素晴らしい~演芸会。
 出てきたお弁当を開いたら「カツ丼」だった。
・「読売GINZA落語会」初めて文珍師匠の噺を袖で拝聴する。
・「白鳥誕生物語」誕生に立ち会う。
・「扇辰・彦いち二人会」  
・志の輔師プロデュース「巣鴨縁日寄席」
・高田文夫プロデュース「新作落語シンポジウム」
・「高田笑学校」
・「拾年百日亭」
・「国分寺寄席」右朝師匠とご一緒した最後となった。
・「新作をどり」。この頃から新作落語が、地下活動から表に出る!?
・「にっかん飛び切り落語会」に出演。すぐ真打昇進が決定したので2回出演のみ。
・ピン芸で活動するのユリオカ超特急さんのライブにゲスト出演。楽しかった。
・秋に突然「来年春、真打昇進!」を言い渡される。準備期間わずか半年未満。やるだけやることに。

<旅・アウトドア>
ロサンゼルス・サンタモニカマウンテンハイキング
沖縄・慶良間諸島無人島シーカヤックツアー

<家紋>
真打昇進を機に、しゃれで家紋を作る
拳にかたつむりが乗った「スローパンチの意」
通称:でんでんこぶし

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平成14年

<落語会>
・「大勉強会」でひたすらネタ下ろしをやる。
・「朝日名人会」
・「お台場寄席」「上方演芸会」「TBS爛漫寄席」
・真打披露でいろんな落語会に出させていただく
・ざぶとん亭では口上に「高田文夫、清水宏、清水みちこ、昇太、ウクレレえいじ」真ん中に僕が座る。というかつてない口上。
・夢枕獏さんにお祝いでキックミットをいただき、お披露目初日に舞台上で前座さんに持たせて思いっきり上段を蹴る。お客席は盛り上がると思ったらキックミット持ったこともない前座さんのメガネが飛び、そのままそこにくずれ倒れ、会場がシーンとなるが、舞台袖は爆笑。どうしようもない雰囲気の中その後はそれをとりもどすかのように喋りまくったとか。
・紀伊国屋サザンシアターでのお披露目は口上に「高田文夫、小朝、円丈、木久蔵、司会・昇太」というこれまた他では見られない口上。演目は「マスクマンの叫び」(仮)
・「ラジオビバリー昼ズ」のスタジオゲストとして初めて出る。高田センセーの聞き上手ぶりに驚愕。ぽかんとしてると「しゃべんないとただのバカなんだから」と言われる。

・昇進の際のパンフレットは講談社さんが全面協力のもと「彦いち噺」が完成する。担当さんが虚弱体質だが気合入りまくりの人で、徹夜で付き合っていただき社内で朝を迎えることも。限られた時間で素晴らしいパンフレットが完成。
・南日本放送局の若人Hさんが、彦いちという人を取り上げたいので上京の許可をと会社に相談するが「素材があればいいが、わざわざ上京せずとも」と断られる。彼は身銭で単独上京。報道の経験のある彼は、カメラかついで真打お披露目会場に三脚をたて自分でキューを出して自分で一人報道レポート。持ち帰りニュースとして流す。それがきっかけで同局で彦いちドキュメンタリーを撮ることに。後の年に一回の鹿児島での独演会は彼が主催している。
・熱き暖かな方々に脱帽の年。
他大勢の熱い応援がありなんとかお披露目を終えることが出来、心から感謝、感謝の年っす。


<旅・アウトドア>
真打昇進に伴い旅に出ず・・・。